人生ずっと勉強。
ITを軸としたT型人間になりたい人のブログ。
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FIT2010 第9回情報科学技術フォーラムに参加してきました
FIT2010 第9回情報科学技術フォーラムに参加してきました。
各セッションもいろいろと見ましたが、聴講したイベントについてまとめてみます。

ポスト情報爆発へ向けて-Beyond Webの展望-
・感想:
爆発的な情報を整理していくには、個人の何気ない行動を「部分」で閉じてしまうのではなく、
全体に影響が波及するような「超個人化」させるための仕組み・インフラ、
そしてそれを可能にするインタフェースの研究が必要になってきそう。

・まとめ:
講演者の一人、森 正弥さんの著書
ウェブ大変化 パワーシフトの始まり~クラウドだけでは語れない来たるべき未来
をたまたま事前に読んでいたのですが、
クラウドなどの発達で、大企業・組織に対抗する力をもっと小さい組織や集団、個人が持つように
パワーシフトが起こるっていうのはたしかに同感。
ノマドワーカーなんかはそのパワーシフトの過渡期にある現在を象徴するような例なのかなとも思うし。
ソーシャルメディアも発達して、マスメディアに頼らずとも情報発信を簡単に出来るようにもなってる。
しかもそんな個人の発信する情報が、大きな影響力を持っていたりもする。
技術系で個人で勝負してる人は聞いたこと無いけど(知らないだけかもしんないが)、
いずれ「●●サービスを展開する□□さん」なんて時代もくるんだろう。
 パネルディスカッション時の「Webを超える新しい情報活用とは何か?」という問いに対する、
後藤真孝さんの回答の1つ「マイ予測」はおもろいなーと思った。
そもそもの問題提起が「今のウェブには『過去』と『現在』の情報しかない」ってとこ。
ありとあらゆる情報をセンスすれば、すごく個人的な「マイ予測」なんかもいずれできるのかもしれないな。
 あとは神戸大学の寺田さんの回答「人類みなプログラマー」っていう考え方も、
(プログラマーが最適かどうかは別にして)個人が情報を処理する側に加担するっていう
発想の点で賛成だった。
 「これからどういう研究が必要か?」という問いに対する、大阪大学の土方先生の
「Googleの『URLをかえす』っていうフレームにいつまではまってんのか?いろんな情報粒度があるんだから探し方かえないと」
という回答にはまったく同感。
既存の考え方をそろそろ取っ払って発想しないといけない。
また、後藤さんの「ユーザの貢献を増幅、かつそのためのインフラ。技術を簡単に使える仕組み」、
森さんの「みんなでやってくプラットフォームをどうつくるか?オープンマスコラボレーション。集合的な開発をするオープンプラットフォーム」
なんかの考え方は、いかに今後、情報を整理するために個人を巻き込んでいくかという視点に立った提言だったと思う。
そういう意味で、Podcastleの取り組みはけっこう好き。
ゲーム感覚で誤解析を正す行動がみんなのためになるっていうのは、けっこう画期的だと思うんだよなぁ。
既存のレコメンドエンジン(個々人の購買行動が他人のレコメンドに影響)とも似てるっちゃ似てるんかもしれないけれど。



「重力に抗して:タンジブルビット」
・感想:
周りの環境の変化を自分ごとのように感じ、その環境から得られる「飢餓感」「屈辱」など、
「出すぎた杭」になるための燃料を補給しながら、
情念を持ち、問いを重ねて、「後世に何を残したいのか?何を残すべきなのか?」を設定することで、
知的活動を行う「人間」として生きるべし。

・まとめ:
話にひきつけられまくった。
何がすごいって、いろんなことに造詣がふかい。
哲学から日常の娯楽まで、何をふっても返ってきそうな勢いがあった。
でも研究者のほんとの姿はきっとこうなんだろう。
学際的・業際的な視点を持っていないと、よい研究はできない。
 心に刻むべき言葉もいくつかおっしゃっていた。
レッテル・ラベルをはってはいけない。
「なぜ?」に答え続けると「哲学」になる。
2200年を生きる人々に、自分は何を残したいのか。どう思い出されたいのか。
教育の目的は刺客を作ること。

どれもすばらしいんだけど、やっぱり
「出すぎた杭は誰も打てない」が一番頭に残ったかな。
出すぎた杭になるには燃料が必要で、その燃料は飢餓感だったり、屈辱、情念、問いである。
ボクは「飢餓感を感じるにはどうすれば?」というアホな質問をしたわけだけど、
実は答えなんかもう出てて、
飢餓感を感じるための環境ってのは実はすでに周りに整ってるんだよね。
先輩をみても後輩をみても、すごい人たちはいっぱいいる。
その人たちは常に努力を続けてる。つまりこのまま自分が何もしないとあっという間に見えなくなっていく存在。
自分のアウトプットに対し、完膚なきまでに叩きのめそうと(よい意味で)してくれる人がたくさんいる。
だからやるべきは、その恵まれた環境にいるんだってことを敏感に感じ取り、
かつその環境の変化を「自分ごと」として感じることなんだろな。
「あーなんかアノ人があんなことやってるわー」で終わらせない気持ち。知的活動を行う「人間」として死なないための気持ち。
それが大事なんだろうね。
自分ごとにして、本気になれば、自然に屈辱も飢餓感も感じる。
それらを感じ出せば、長期的視野にたった情念だって生まれてくる。
そうすれば、その情念に対して問いを重ねることもできるようになるだろう。
だからぼくは、いろんなことを「他人事」から「自分ごと」に感じるようにすることからはじめなければならない。

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